人の児を抱かされていて遠花火 田中實子
児を抱いて(抱かされて)いるのは、子育て経験のある大人です。自分の子を抱いた経験があって、人の子を抱くと時に感じる、ある種の違和感。例え自分の姉妹の子供であっても。だから「抱いて見ている」とせず「抱かされていて」という言葉になったのだ。「抱かされる」感覚と「遠花火」の不協和音のような和音。厭というより、「本当はこれじゃない」みたいな、ちょっとずれた感じ。わかります?(『現代俳句歳時記』学研)(K.K.)
人の児を抱かされていて遠花火 田中實子
児を抱いて(抱かされて)いるのは、子育て経験のある大人です。自分の子を抱いた経験があって、人の子を抱くと時に感じる、ある種の違和感。例え自分の姉妹の子供であっても。だから「抱いて見ている」とせず「抱かされていて」という言葉になったのだ。「抱かされる」感覚と「遠花火」の不協和音のような和音。厭というより、「本当はこれじゃない」みたいな、ちょっとずれた感じ。わかります?(『現代俳句歳時記』学研)(K.K.)