さて、目を閉じたのは誰でしょう。作者自身との解釈をネットで拝見して、立ち止まってしまった。俳句にルールはないので、一句に主語が二つあるのはかまわないが、その句意ならば、「すれちがふ秋の夜汽車や目をとざす」とした方が分かり易い。でも作者はあえてそうはしなかった。素直に読めば目を閉じたのは作者ではなく夜汽車であり、作者はそう読んで欲しかったのでしょう。深い闇を黙々と走ってきたのです。自分と同じ孤独な仲間とすれ違う時、夜汽車も目ぐらい閉じますよ。目はないけれど、作者はそう感じたのです。自分のたよりなく孤独な気持ちを、夜汽車になぞらえたのです。それが詩人の共感性であり、それこそが詩というものです。でも、当時はこんな解釈は許されなかっただろうな。客観写生に反していたから。昭和12年作。(朝日文庫現代俳句の世界10)(北野和博)