昏いねと青鬼灯に水供ふ 木曽岳風子
「昏いね」で始まったら、普通なら「青鬼灯に灯をともす」となるでしょう。でも、それでは予定調和的で面白くありません。掲句は読めば読むほど不思議な味わいがあります。「昏いね」、誰が誰に向かって話しているのでしょう。花を供えるでも仏壇に水を供えるでもなく、花に水を供えるというのも、不思議な表現です。(『六花』2002年11月号)(北野和博)
昏いねと青鬼灯に水供ふ 木曽岳風子
「昏いね」で始まったら、普通なら「青鬼灯に灯をともす」となるでしょう。でも、それでは予定調和的で面白くありません。掲句は読めば読むほど不思議な味わいがあります。「昏いね」、誰が誰に向かって話しているのでしょう。花を供えるでも仏壇に水を供えるでもなく、花に水を供えるというのも、不思議な表現です。(『六花』2002年11月号)(北野和博)