円涼し長方形も亦涼し 高野素十
掲句が写生の名手素十作とはびっくり。文字通りに読んで、写生句における対象の単純化の極致、と称賛する方もいるかもしれないが、その解釈は私にはどうもしっくりこない。作者は「円」や「長方形」等の幾何図形の無機的な質感を涼しいと言いたいのだろうか。いや、それなら、「長方形」ではなく、「正方形」か、「三角形」とするはずだ。「長方形」より「正方形」の方がより幾何的であり、また「三角形」の鋭角の鋭さは、より涼感を感じさせるからである。そもそも、滑らかな曲面の「円」に幾何的な涼しさを感じるのは無理である。はて、どう読むとしっくりくるか。そこで文体に注目。ゆったりとした「涼し」のリフレインからは、作者は単に涼しいと報告しているのではなく、「円」と「長方形」という涼しいものを愛でる思いが伝わってくる。「円」や「長方形」で涼しさを愛でたくなるような物。思い悩んで閃いた。円はカップのアイスクリーム、長方形は棒のアイスキャンディーだと。小さなものを小さく愛でる素十らしく、身近にある氷菓を愛でている、と解釈したい。アイスクリームは冷たいが、冷たしは冬の季語だから、「涼し」としたのだろう。私の独断読みなので、解釈はご自由に。みなさんはどう読みますか。『清水哲男 増殖する俳句歳時記』HPより)(北野和博)