たんぽぽやまだ濡れてゐる水彩画 大村美知子
誰かが野のたんぽぽを写生しているところに、作者が通りがかったのだろうか。それともたんぽぽの実物は無くて作者は水彩画をみているのだろうか。いずれにしても、最初に野のたんぽぽを読者にイメージさせておいて、最後に絵の中のたんぽぽにイメージが入れ替わる。この転換の鮮やかさが、この句の読みどころ。「水彩のたんぽぽのまだ濡れていて」とすると、情緒的ではあるが、たんぽぽが実物から水彩画へ転換する面白さが失われてしまう。つまり掲句は掲句のままで、とても良く出来た作品なのです。 (『京鹿子』2004年8月号)(K.K.)