つぎの泡浮かぶ気配の春の水 北野平八

 

 

澄み通った春の水。時折泡が浮かんでくる。眺めているうちに、そろそろ次の泡が浮かぶ気配が感じられてくる。俳句とは一瞬を切り取るものである。だが、その一瞬にはその前後の決して短くはない時間が含まれているのだ。ところで、この泡はどこからくるのだろう。きっと澄んだ水の底の苔や水草が、春の光を受けて酸素の気泡を出し始めたのだろう。見えないところで命は動き始めている。しかしその泡もまた、直ぐに消えてしまうのだ。掲句は死病を得た作者の最晩年の句のひとつ。余白から、命のはかなさ、淡さを感じ取ったのは私だけだろうか。(『北野平八句集』)(北野和博)