階段が無くて海鼠の日暮かな 橋閒石
分からない作品に出遭うと、多くの読者は直ぐに諦めてしまう。そして、過大評価や過小評価でお茶を濁してしまう。でも何度か読めば、必ず作者の制作過程が見えてくる。どうやって作られたのか解れば、作者のねらいまでは辿りつける。さて掲句について。「階段が無くて」と「海鼠の日暮かな」の間が切れ字と考えよう。おそらく作者は「海鼠の日暮」を先に考えついて、それに合う上句を探したのだろう。脚のない海鼠に最も遠いイメージとして、階段を思いついたのかも知れない。ここまでくれば、その階段のイメージの打ち消す「無くて」に到達するまで時間は掛かからなかっただろう。「階段が無くて」と書いてあるのに、人は逆に階段をイメージしてしまう。海に階段がないという当たり前のことを書きながら、階段見えてくる橋マジック。お見事です。(『名句集100冊から学ぶ俳句発想法』ひらのこぼ 草思社)(北野和博)