怒らぬから青野でしめる友の首 島津亮
奇妙な句です。どういう状況でしょう。「怒らぬから」を、「何をしてもこいつは怒らない」と自分が思っているという解釈と、「怒らないよ」という相手の言葉と読むかで、解釈が変わってきます。前者だと相手の優しさにいら立って首をしめると読めます。これが普通の読みだと思いますが、私には後者の解釈がしっくりきました。そのほうが、しめる側にもしめられる側にも、優しさを感じます。私はもちろん友達の首を絞めたことはありませんが、掲句に身に迫るものを感じていて、記憶をたどると、学生時代の動物実習に行きあたりました。単位を得るためには生きた動物を殺さねばなりません。でも、死んでゆく動物の目は、悲しそうで、あくまでもやさしいのです。辛い思い出です。長い間封印していましたが、この句で甦りました。掲句が分かりにくい人は、「怒らぬから」の後に切れ字があると考えましょう。何か見えてくるはずです。なお、この句に同性愛的解釈があるのは、季語を夏野とせずに青野としているからでしょう。(現代俳句協会ホームページより) (北野和博)