一本の道を微笑の金魚売 平畑静塔
写生句ではない。写生句の場合は書かれていなくても、金魚売を見ている作者がその場に居る建前だが、掲句は、金魚売の回りに誰も居ない。小説で言う三人称で書かれた句と読んで欲しい。では金魚売は誰に(何に)微笑んでいるのだろう。一本の道が宿命のように金魚売の眼前に広がっている。多くのひとが微笑という言葉に惑わされて、子供に囲まれている優しい金魚売、という誤読に陥っているが、「一本の道を」とあるように金魚売は天秤竿担いで移動中である。周りにが子供がいると読むのは不自然である。静塔「根源俳句」の頂点の作品だと思う。(朝日文庫現代俳句の世界13)(北野和博)