したがひて野にも出で来し草も摘む 中村汀女

 

 

 

歳時記で見つけた気になる句。でも、最初、句意がよくわからなかった。暴君ぎみの夫にしたがって、野原でいやいや草摘をさせられた、と読んでみたが、それでは詩の扉は開かない。そこで考え直した。したがうのは主従関係とは限らず、たとえば子供にせがまれたか、友人に誘われたのではないか。本人は気分が沈んでいて、とうてい出かける気分にはなれかったが、誘われるまま野原に出ると、気持ちが晴れて草摘など楽んだ、と。つまり、「出て来し」と「草も摘む」の間には、気持ちの転調が隠されているのだ。「草も」の「も」に、気持ちの高揚が表現されている。そう気づいたら、詩の扉がすうっと開いた。(『現代俳句歳時記』実業之日本社1973年)(北野和博)