校塔に鳩多き日や卒業す 中村草田男

 

 

筆者は迂闊にも、この有名句の「校塔に」を「校庭に」と、間違って記憶していた。多分私には「校塔」というものに対する違和感があったからだろう。「校塔」と「校庭」では、句のイメージが大きく違う。「校塔」は見上げるが、「校庭」は見下ろす。学生生活を思い出して欲しい。授業中に「校庭」を見下ろすことは良くあるが、「校塔」があったとしても、あまり記憶に留まらないのではないか。「校庭」は生徒の遊びの場であり、「校塔」は学校の権威とシンボルともいえよう。私は掲句を、普段見下ろしていた校庭を、卒業の日にもう一度校門な手前で立ち止って(あるいは教室の窓から)じっくりと眺めた句と読みたかった。みんなで遊んだ校庭に、鳩がいつもどおりそこにいると。そのために、無意識に記憶をすりかえていたようだ。さて、前置きが長くなったが、掲句について。卒業式の当日に学校のシンボルである校塔を見上げると、平和の象徴である鳩がいつもより多く集まっている。いかにも演出的、観念的な構造でありながら、この句を名句として受け入れてしまうのはなぜだろう。その奥には私達日本人が、卒業式という舞台に感じる、ある種の郷愁が作用しているに違いない。(「俳句歳時記」昭和47年初版 角川文庫)(北野和博)