秋燕や駅よりすでに海の砂 神尾季羊

駅前から砂浜になっている、とも読めますが、私は少し離れた海から靴底や風が運んだ砂が駅舎の床に散っている、と解釈しました。その方が、作者の細やかな精神状態が反映された描写になるからです。いずれにしても、駅の映像の後に、ひとけのない秋の海辺が浮かんできます。なぜ浮かんで来るのでしょう。主人公はこれから海に行こうとしているからです。季語とのバランスのとれた秀句。(『俳句歳時記第三版』角川書店)(北野和博)