水音で充たす一日さくら散る 桂信子

 

 

掲句の「充たす」の解釈が私には難しかった。ここをどう読むかで句の解釈は大きく変わってくる。作者が散花の風情を表現したいのなら水音で心が充たされただろう。しかし、私には作者の心中に散花があるようには読めなかった。散花はあくまでバックヤードで、聞くともなく聞こえる水の音を聞いて無為の一日が終わってしまった。心の空白を仕方なく水音で埋めた。掲句からそんな所在なさが感じられた。(句集『新緑』牧羊社1974年)(K.K.)