口開けて虹見る煙突工の友よ 寺山修司

 

 

この句を読んで、セミフ・カプランオール監督の映画「ミルク」の中のあるシーンが思い浮かびました。高校生でかつ詩人である主人公が、同じく詩が好きな土木作業員の友人を訪ねるシーンです。友人が恥かしそうに手書きの詩を主人公に見せ、主人公が悪くないねと答えます。そして友人から君はどうだと聞かれたとき、自分の詩が入選している雑誌を取り出して、友人に見せつけるのです。映画は多くを語りませんが、作品のレベルの違いに打ちひしがれてゆく友人の顔、そのみすぼらしい汚れた作業着を主人公の視点から、カメラは容赦なく映し出します。さて、掲句に戻って。この作品には虹を見る友に対するシンパシーは微塵もありません。「虹」という美しい物に対して全く無防備な友を蔑みの視点で見下しているのです。でも、寺山の句は実話ではなくドラマです。煙突工の友は、寺山自身の姿でもあるのです。青春の自惚れと挫折、従来の俳句では表現できなかった独自の世界を寺山は切り開いたのです。(『寺山修司コレクション』思潮社)(北野和博.)