何もせぬ何も出来ぬ日髪洗ふ 宮井知英

秀句とまで云えるかは分からないが、今の私の心境にぴったりだったので取り上げた。最近は朝シャンする人も多いだろうが、俳句の「髪洗う」一日の終りのイメージ。さて、掲句は、何も出来ないから髪でも洗おうか、という句意ではありません。髪を洗いながら、その日の出来事を振り返っているのです。この句の特徴は「何もせぬ日」と「何も出来ぬ日」の上の句と中の句のリフレインですが、この意味が微妙に違う言葉の重なりは、解釈のよっては句意を曖昧にしかねません。作者にとっては冒険であり、読み手にとっては難儀な構文です。私は、「何もせぬ」を言い直して「何も出来ぬ」と解釈しました。「何もせぬ、いや何もできなかった」「何かをする気力が起きなかった」。作者は髪を洗いながら、そう無為の一日を振り返っているのです。何か心にのしかかるものがあるのでしょう。ごゆっくりお休みください。その気持ち、良く分かります。(『空』2015年10月号)(北野和博)