茎太のグラジオラスや癒え確か 田所節子

 

 

フィジカルな病気だろうか、それとも心の傷だろうか。いずれにしても、癒えをもたらしたのは「グラジオラス」ではなく「時間」である。少し前なら目に留めるゆとりもなかったグラジオラス。作者は茎太のグラジオラスの向こうに、苦しかった時間を見つめている。(『沖』2001年10 月号)(K.K.)