人形のできあがる日の冬の川 飯島晴子

 

 

人形が「できあがった」のではなく、「できあがる」ところがミソ。この句の時制ではまだ、できあがっていないのだ。でも、まだできあがってないのに、なぜこの日に出来ると分かったのだろう。事前に人形業者の頼んでいて、納品の日だったから、とも読めなくはないが、それでは当たり前すぎて面白みがない。ここは作者の回想と読みたい。人形の出来上がった一日を想い、出来上がる前の心象を詠んでいるのだ。でも、そもそもどんな人形。なぜ、既製品ではないの。考えれば考えるほど、詩の迷宮に心地よく迷い込んでゆく。人形を待つ高揚感は、どこか思春期の高揚感にも似て。「冬の川」の季語とも、関係なさそうでみごとにマッチング。掲句は、晴子作品の中でも群を抜く切れ味の快作である。次の世代に伝えたい作品。 (『朱田』1976年)(北野和博)