遠足にゆけぬ日の子のゆでたまご 三神あすか

 

 

さりげなく作られているが、良く出来た句。普通なら、「遠足にゆけぬ子のためたまご茹で」、という風に、母親視点で書いてしまう。そうすると、意図が先に見えて、あざとい作品になってしまう。掲句では客観描写になっているため子の視点でも、母親の視点でも読むことが出来、気持ちが伝わってくる。せっかく楽しみにしていたのに、風邪でも引いたのかな。それとも、病弱で、もともと行けないのかな。そんなことを想像していたら、私まで悲しくなりました。(『ヒッポ千番地』1999年10月号)(K.K.)