背の高き子が麦秋の中を行く 西川五郎

 

 

この面白さをどう言葉にしようか。どうやらポイントは「背の高き子」にあるようだ。「背の高き男」「背の高き女」、「背の高き人」でも、こうは面白くならない。「背の高き人」が珍しくないように「背の高き子」も珍しくないのだが。でも「背の高き人」が麦秋を行っても不思議ではないが、「背の高き子」が麦秋を行くと、不思議な世界が広がってくる。そう脳が感じてしまうから不思議である。(『馬醉木』2004年8月号)(K.K.)