炎天下亡き友の母歩み来る 大串章 (増殖する俳句HPより)

一読して不思議な句だと思った。亡くなったはずの友達のお母さんが炎天の向こうからやってくるのだ。読み返して、亡くなったのは友達とも読める、というか常識的にはそう解釈するだろうと気が付いた。それでも何度読み返しても、亡くなったのが友かそのお母さんか、一瞬戸惑ってしまう。日本語では「亡き」が友にかかるとも、友の母にかかるとも読めるからである。そのあやふやさが、掲句の魅力で、読むたびに私は切ない迷路に迷い込んでしまう。(北野和博)